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元少年A(酒鬼薔薇聖斗)手記「絶歌」の内容と要約 〜10分でわかる〜

      2017/05/24

絶歌

元少年Aの手記「絶歌」。その内容を本に記載されている引用を軸に物語の流れを補足・追記してまとめました。

本の第一部は少年時代〜少年院に移送されるまで、第二部は少年院生活を終え社会に出てから今に至るまでの内容となっており、最後に「被害者のご家族の皆様へ」という構成になっています。

なお別途、書評とこの本の出版及び内容に対する有名人の反応も記事にしていますので、合わせてご覧ください。

【書評】少年A(酒鬼薔薇聖斗)の手記「絶歌」を読んで
元少年A手記「絶歌」出版に関しての芸能界での反応。


第一部

名前を亡くした日

一九九七年六月二十八日。僕は、僕ではなくなった。(中略)「少年A」それが、僕の代名詞となった。僕はもはや血の通った一人の人間ではなく、無機質な「記号」となった。

本文はこの一節から始まります。1997年6月28日、つまり逮捕され「少年A」となった日です。

勉強も、運動もできない。他人とまともにコミュニケーションを取ることもできない。(中略)いてもいなくても誰もも気付かない。それが僕だ。

少年Aの子供時代は誰も顔と名前を思い出すことができないほど目立たない存在でした。

今すぐに罪を認めたい。一刻も早く死刑台に連れていってすべてを終わらせてほしい。この頃の僕は、もう自分で自分をコントロールできなかった。

6月28日、家に来た刑事に須磨警察署に連れて行かれ、取り調べを受けます。そこで犯行を認めるか認めないか、葛藤します。

これでやっと終わる。もうこれ以上、誰も傷付けずに済む。「僕がやりました」僕は自供を始めた。

最終的には自供することに。

僕にとっての救いは「死刑」だけだった。リセットボタンのない命がけのゲーム。負ければ絞首刑。自分が手にかけた淳君と同じ苦しみを味わって死ぬ。僕の中で用意されていた結末はそれしかなかった。(中略)この頃の僕は、「死ぬ」ことよりも「生きる」ことのほうが、何千倍も怖かった。

自分で自分自身をコントロールできなくなり、死刑に救いを求めます。

夜泣き

独房の前にはパイプ椅子が置かれ、留置所の係官が二十四時間体制で監視した。この日から、「夜泣き」がはじまった。夜布団に入ると、涙が止まらなくなる。

僕は病んでいた。とても深く。「精神病か否か」という次元の問題ではない。人間の根っこが病気だった。

日中は自らが行った地獄絵図のような犯行のディテールを淡々と供述し、夜布団に入るとほとんど儀式のように夜泣きがはじまる。

留置所では人を殺しても何にも感じない自分が怖く、世界から拒絶されていると感じ、夜に涙を流します。

生きるよすが

四人の係官がローテーションしながら二十四時間体制で僕を監視した。事件の大きさや、僕がまだ少年だったこともあり、ここで自殺したらシャレにならなかったのだろう。

留置所では24時間体制で常に監視されます。

彼らは皆おしなべて親切だった。僕には彼らのその親切心が屈辱でならなかった。僕は憎まれたかった。罵倒されたかった。痛めつけられたかった。恐れられたかった。それなのに、いったこのザマは何なのだ?

四人の係官それぞれについても詳細に記載があり、彼らからの善意を煩わしく不愉快に感じます。

同級生たちが芸能人やスポーツ選手になるのを夢見るように、僕は殺人界のトリックスターになることを夢見た。僕も彼らのように人々から恐れられたかった。

少年Aにとってのスターは連続猟奇殺人犯達。少年時代は猟奇事件の本を読み耽ります。

僕にとってのあの池は何だったのだろう。なぜわざわざ、犯行に使用したナイフ・ハンマー・ノコギリなどの凶器を、すべてあの池に沈めたのだろう。まるであの池に何かを託すように・・。

事件に使用したすべての凶器は向畑ノ池に捨てました。この池や殺害現場となったタンク山は彼にとっての聖域でした。

僕もアポロ君もダウンタウンが大好きだった。(中略)他の同級生がどう見ていたのかは知らないが、僕がダウンタウンに強く惹きつけられたのは、松本人志の破壊的で厭世的な「笑い」の底流にある、人間誰しも抱える根源的な「生の哀しみ」を、子供ながらにうっすら感じ取っていたからではないかと思う。

少年Aはダウンタウンのコントを見て爆笑したあとに、なぜか途方もない虚しさを感じます。

僕は、大人への階段を上がっていく同級生たちを尻目に、何も考えずに毎日を楽しんでいた頃の思い出に退行するように、タンク山や向畑ノ池や入角ノ池にひとりで入り浸るようになった。

成長する友達を尻目に、少年Aは居場所を見つけられずに聖域にひとりで入り浸るようになります。

それぞれの儀式

太い幹に腰掛け、ポータブルCDプレイヤーでユーミンの「砂の惑星」をエンドレスリピートで聴きながら、当時の主食だった赤マルをゆっくりと燻らすのが至福のひとときだった。

事件当時は聖域である池やタンク山でタバコを吸いながら大好きな曲であるユーミンの「砂の惑星」を聞くことに幸せを感じます。

僕は当時、自分がなぜこんなにもこの曲に惹かれるのか考えてもみなかった。(中略)でも、今になって冷静にこの曲を聴くと、歌詞にもサウンドにも、過剰なまでの母性を感じる。

僕にとっての池は母胎の象徴であり、ユーミンの「砂の惑星」は胎児の頃に聴いた母親の心音だった。池のほとりでユーミンの「砂の惑星」を聴くと、母親の子宮に還っているような無上の安心感を憶えた。

この歌に母性を感じ心地よさを感じます。

人を殺すという極限行為に及んだ人間が、冷静に正気を保っていられるほうがおかしい。僕とて例外ではない。一連の犯行に及んでいるあいだ、僕は、常に怯え、焦り、混乱していた。

犯行後周りには正常を装っていたものの、心の中ではパニックで泣き叫んでいました。

ちぎれた錨

僕の人生が少しずつ脇道へと逸れていくことになった最初のきっかけは、最愛の祖母の死だった。

祖母はこの世で唯一、ありのままの僕を受け容れ守ってくれる存在だった。僕は親に叱られると、祖母の部屋へ逃げ込み、祖母は事情も聞かずただ黙って、僕を抱きしめ庇ってくれた。

おばあちゃん子だった少年Aにとって祖母の死が精神に大きな影響を与えます。

今でも思うことがある。もし、何年か長く祖母が生きていたら、僕は事件を起こさずに済んだのだろうか。それても、祖母が生きていても僕は同じことをしたのだろうか。

僕には、「祖母のいない世界」を受け容れるだけのキャパシティなどなかった。自分が立っている半径1メートルのスペースだけを残して世界じゅうの地面が崩れ堕ち、自分ひとりだけがぽつんと取り残されてしまったような恐怖と不安と孤独を感じた。

祖母の死で大きな消失感を感じひどく困惑します。

人はどんなに辛いことがあっても、信じられるものを錨にして危険な波に押し流されることなくこの世界と自分を繋ぎ留めておくことができる。その錨を失ったとき、魂は漂流船となる。祖母という唯一絶対の錨を失い、僕の魂は黒い絶海への押し流されていった。

祖母という自分の支えを失ったことがそれまで表面化されなかった少年Aの暗闇を一気に解き放ちます。

原罪

僕の引き起こした事件を最も特色付けているのが、性的サディズムというキーワードだ。それは、僕にとっていちばん他人に触れられたくない、「自分は他人と違い異常だ」という劣等感の源泉でもある。

精神鑑定でも、少年院でも誰にも打ち明けることができなかった心にしまいこんできた性的サディズムについてこの章では告白しています。

僕は祖母の位牌の前で、祖母の遺影に見つめられながら、祖母の愛用していた遺品で、祖母のことを想いながら、精通を経験した。僕のなかで、性と死が罪悪感という接着剤でがっちりと結合した瞬間だった。

祖母が使っていた電気按摩器で冒涜の儀式を繰り返すようになります。

祖母の愛犬で、僕も可愛がった柴犬の「サスケ」が、祖母の後を追うように老衰で死んだ。愛する者たちを次々に奪っていく死を前に、僕は余りにも無力だった。

祖母に続き愛犬も少年Aの前から去って行き、さらに心が歪んでいきます。

近所の野良猫の一匹が、サスケのお皿にてんこ盛りになっている餌の山に顔を突っ込んで貪っていた。−殺そう−唐突にそう閃いた時、(中略)いても立ってもいられなくなる奇妙に心地よい痺れと恍惚感。間違いない。ソレは性的な衝動だった。

猫を殺そうと閃いた時に感じたのは性に結びつく心地よさでした。

コンクリートブロックを両手で振りかぶり、猫の背中めがけて思いきり投げつけた。(中略)二階の自室へ行き、カッターナイフを抜き取り、ふたたび猫のもとへ向かった。(中略)猫の両眼を狙い横一文字に切り裂いた。人間の赤ん坊のような掠れた悲鳴が耳を劈く。

そして、あまりにも残虐な方法で猫を殺めます。

僕はついさっき猫に投げつけたブロックを拾って、猫の小さな顔に覆い被せるように置いた。そしてそのブロックを、体重をかけ、力いっぱい踏みつけた。ゴキュっと頭蓋の砕ける小さな音が鳴り、猫の動きが止まった。(中略)ひと踏みごとに興奮が募り、ペニスの芯がハンダゴテのように発熱した。次の瞬間、熱く腫れ上がったペニスに激烈な痛みが走った。(中略)射精していた。

猫の息の根を止めた瞬間、ペニスが発熱し射精します。

そうやって僕は知らず知らずのうちに、死を間近に感じないと性的に興奮できない身体になっていた。(中略)祖母の死から八か月。僕は奈落の底へ続く坂道を、猛スピードで転がり落ちていた。

死と性という相反する事が歪んだ精神と結びつき、心をさらに蝕んでいきます。

断絶

祖母が死んだ年の冬、自宅の裏庭で最初に一匹目の猫を殺して以来、僕は猫殺しの快楽に取り憑かれ、次から次に近所の野良猫を捕まえては様々な方法で殺害した。

解体し残虐な方法で猫を殺害することが快感で止まらなくなります。

中学に上がる頃には猫殺しに飽き、次第に、「自分と同じ人間を壊してみたい。その時にどんな感触がするのかこの手で確かめたい」という思いに囚われ、寝ても覚めても、もうそのことしか考えられなくなった。

その思いは猫では飽き足らず、さらにエスカレートします。

一九九七年三月十六日。僕は自宅から一・五キロメートル離れた竜が台で二人の女の子をナイフとハンマーで襲った。被害者の二人とは面識がなかった。(中略)自分のしたことが急に怖くなった。でもいくら時間が経っても、誰も僕がそんなことをしたとは気付かず、拍子抜けした。

ついにハンマーで彩花さんを襲い、別の女の子の腹部をナイフで刺し全治二週間の怪我を負わせます。

砂場から逃げ出そうとするダフネ君の襟首を掴み、時計を巻いた拳で彼の顔や頭を何発も殴りつけた。ダフネ君は大声で悲鳴をあげた。僕は叫び声を発する大きく開いたダフネ君の口にも容赦なく拳をふるった。(中略)今よくよく振り返っても、自分がダフネ君を殴った理由が、本当によくわからない。

さらに小学校時代から仲の良かった友人にも手を出します。

「蟻やゴキブリを殺しても誰も怒らへんのに、人間の命だけが尊いんですか?人間を殺すのがそないに悪いことなんですか?」

友人を殴りつけた翌日学校の先生に対してこのように言い放ち、先生を唖然とさせます。

学校側の勧めで、僕はしばらく休学する代わりに児童相談所に通い、カウンセリングを受けることになった。この十日後、一九九七年五月二十四日、僕はタンク山で淳君を殺害した。

少年Aの暴走を誰も止めることができず、最終的に淳君の命も奪います。

GOD LESS NIGHT

二日前から淳君が行方不明になり、心労のあまり床に臥せってた淳君のお母さんのかわりに、電話の応対や食材の買い出しをするため、この日から、母親は毎日のように淳君の家に通った。

少年Aの弟と淳君が仲が良かった関係で、母親同士も面識があり、淳君が行方不明の間、少年Aの母親が淳君の家に行って電話対応などで手助けします。

淳君の頭部を取り出して脇に抱え、すりがらすの二枚折戸を押し開け、風呂場に入り、戸を閉めると、そちらも内側からスライド式のロックをかけた。このすりがらすの向こうで、僕は殺人よりも更に悍ましい行為に及んだ。

性と死がリンクしている少年Aはここでも信じられないような悍ましい行為を行います。

僕はこれ以降二年余り、まったく性欲を感じず、ただの一度も勃起することがなかった。おそらく、性的なものも含めた「生きるエネルギー」の全てを、最後の一滴まで、この時絞りきってしまったのだろう。

淳君の頭部を、祖母の畑に埋めるのをやめ、自分の通う中学校の正門に晒す。それは、考えうる限りいちばん間違った答えのように思えた。いちばん間違っているからこそ、この時の僕にとっては、それが大正解だった。

淳君の頭部をどうしようか迷った結果、中学校の正門に置くことに決めます。

蒼白き時代

バブル崩壊後、物質的利益一辺倒だったそれまでの価値観の体系が大きく揺らぎ始めていたところへ、震災、サリンと、世紀の二大カタストロフィーのワン・ツーパンチを喰らい、人々の心は「物質的なもの」から「精神的なもの」へとますます加速度的に移行していった。それは深く病んだ「蒼白い時代」だった。

90年代を振り返り身体性欠如の時代と表現します。

父の涙

写真も見せられた。僕の部屋で、僕が隠し持っていたナイフを右手に握り、左手でそのナイフを指差す父親の写真だった。この写真を見せられた時にはさすがに堪えた。

留置所で警察によって撮影された自分が隠していたナイフを握る父親の写真を見て、少年Aは動揺します。

父親は泣かない人だった。僕が逮捕され、鑑別所で面会した時も、少年院で面会した時も、父親は、僕に会うたび泣き崩れる母親の肩に手を置き、きつく唇を閉じ、じっと何かに耐えているように見えた。

少年Aの父親は実直で無骨で普通の父親だったそうです。

僕は静かに話し始めた。「父さん、僕ら五人はほんまに普通の家族やったよな。ほかのみんなと同じように、家族で一緒に出かけたり、誕生日を祝ったりして、幸せやったよな。僕さえおらんかったらよかったのに。なんで僕みたいな人間が父さんと母さんの子供に生まれてきたんやろな。ほんまにごめん。僕が父さんの息子で」

少年院を仮退院した後に父親と過ごした際に初めて父親に謝罪しました。

次の瞬間、父親は僕から目を逸らし、親指と人差し指で目頭を突き刺すように抑え、見ないでくれとでもいうように、俯き、肩を震わせ、声を押し殺して泣き始めた。父親が泣くところを見たのは生まれて初めてだった。

鑑別所でも少年院でも取り乱す母とは対照的に涙を見せなかった父がここで涙を流します。

余りにも傷付き疲弊した初老の男の姿を目の当たりにして、僕は初めて、自分の存在がどれほどこの人を苦しめてきたのかを思い知った。

ニュータウンの天使

歪んだ快楽に溺れ悲哀の仕事を放棄した汚らわしい僕を、淳君はいつも笑顔で無条件に受け容れてくれた。淳君が傍らにいるだけで、僕は気持ちが和み、癒された。僕は、そんな淳君が大好きだった。

僕は、淳君が怖かった。淳君が美しければ美しいほど、純潔であればあるほど、それとは正反対な自分自身の醜さ汚らわしさを、合わせ鏡のように見せつけられている気がした。

淳君が無垢で純粋である一方、自分の醜さと汚らわしさを感じます。

精神狩猟者

「嫌だったら答えなくていいんだけども、君はマスターベーションの時にどんなことをイメージするの?」彼はのっけから核心に斬り込んだ。僕は内心、動揺しまくった。なぜだ?なぜわかったんだ?

7月25日に身柄を須磨警察署から神戸少年鑑別所に移送されます。そこでワトソンという精神鑑定医に核心を突く質問をされ動揺します。

僕の精神鑑定にあたったワトソンは、人間の精神のジャングルの奥深くに分け入り、そこに潜む異常心理という獲物を仕留めることに、その獲物を追い詰めるプロセスそれ自体に、無上の快楽を覚える一種の変態であったように思えてならない。僕は彼のそこが好きだった。

次第にワトソンに畏怖の念を抱くようになります。

咆哮

「あんなに会わんて言うとったのに、何で来たんやぁー!」(中略)それまで一度も大声で怒鳴ったことなどなかった。僕はこの時、自分の叫び声を生れて初めて聴いた。

鑑別所に面会に来た両親を前に動揺し、生まれて初めて怒鳴ります。

母親の前に座り、僕は泣きながら謝った。「母さん。こないだは、あんなひどいことを言うてごめん。ほんまに悪かった」母親も涙を流し、自分の口を手で抑え、気にしなくていいというふうに首を左右に振った。

2度目の面会の時に母親にこのように謝ります。しかし自分に怯えてる母親を見て辛く感じます。

あの時の、涙を流す母親の顔が、僕を見つめる母親の怯えた眼が、ずっと頭から離れられない。胸の中にしこりとなって残り、今なお僕を苦しめる。

審判

裁判官は長い長い意見書をもわもわっと読み上げ、最後に僕の方を見て、「君を医療少年院に送致します」と告げた。

1997年10月22日神戸少年鑑別所から東京府中の関東医療少年院に移送されます。

僕は、鑑定医がたちが「数パーセントのわずかな可能性」と観測した「更生」へと向かって、おぼつかない足取りで歩いて行った。

ここで第一部は終了です。

第二部

6年5ヶ月に及ぶ少年院の生活には触れることなく、少年院生活を終えたところから第二部は始まります。

ふたたび空の下

二〇〇四年三月十日。事件から七年目の二十一歳の春、僕は六年五か月に及んだ少年院生活を終え、社会に出た。

少年院を出ると、約1ヶ月間、観察官と都内のビジネスホテルに宿泊し、有名な場所を回り社会見学をします。

更生保護施設

シャワーを浴びて自室で横になっていると、観察官のゴクウ、サゴジョウ、ハッカイが、血相を変えて僕の部屋を訪れ、こう告げた。「すぐ荷物をまとめて。場所移動するから」藪から棒だった。(中略)事情を聴くと、僕が「少年A」であることに勘付いて他の入居者たちに触れまわっているとのことだった。

受け入れ先の保護施設がない中、1ヶ月の期間限定という条件付きで施設が見つかり入所するものの身元がばれてしまい、最終的に元の寮母さん夫妻の離れで生活することになります。

ジンベイさんとイモジリさん

僕は自分の家や自分の部屋、自分の領域に他人が入ってくることが苦手だ。同じように、他人の領域に自分が足を踏み入れることにも強い抵抗を感じる。相手が自分の過去を知っている場合は余計にそうだ。

仕事は観察官が用意した廃品回収の仕事をすることになります。

僕が醸し出すその一種異様な稚い雰囲気は、未だこの身体のどこかに眠っているかもしれない、性的なものも含めた自身の病理と無関係ではないように思えてしまって、「若いですね」と言われるたび、その潜在的な病理を見透かされ、指摘されているようで、ビクッと身構えてしまう。

ジンベイさんという愛嬌のある40代半ばの男性とイモジリさんという50代前半くらいの人付き合いの苦手そうな人とコンビを組んでの仕事です。挨拶の時「若い」という一言にマイナスな要素を感じ身構えてしまいます。

僕の過去を知ったら、あの二人はどう思うだろう?それでも仲間だと思うだろうか?あんちゃんと呼んでくれるだろうか?

二人の異なったキャラクターのおじさんとの仕事もコミュニケーションもうまくいき、ふとこのように考えます。

最終居住先

二〇〇四年五月中旬。僕は東京を離れ、最終居住先である篤志家のYさんの家に移ることになった。

保護施設の後は篤志家という社会奉仕・慈善事業などを支援するYさん夫婦の家に移ります。

彼ら二人は、嫌な顔もせず、文句のひとつも言わず、取り返しのつかない罪を犯した僕を実の家族のように迎え入れてくれた。食事や身の回りの世話ばかりではなく、これからどのように生き、罪を償っていけば良いのかを、僕といっしょに悩み、真剣に考えてくれた。

そこでYさん夫婦のほか、地域の人にも親切にされます。

一度だけ、僕は精神が崩壊する一歩手前まで追い詰められたことがある。一九九九年八月。関東医療少年院に入って二年目の夏。「ちょっと話がある」担当の教官が、いつになく深刻な面持ちで言った。

そして淳君のお父さんと彩花さんのお母さんの手記を渡され、一気に読みます。

その日の夜から、僕はほとんど眠れなくなった。布団に入ると、犯行時の様子が繰り返し繰り返しフラッシュバックした。泣き叫ぶ淳君。最後まで僕を見ていた綾花さんんぼ眼差し。(中略)僕は次第に精神に変調をきたし、睡眠薬、向精神薬を投与され、一日中パジャマ姿で、独房から出られない日が続いた。

狂気の海に逃げ込もうとバシャバシャもがく醜く矮小な僕に、少年院の教官たちは「それでも罪を背負っていきていくしかないのだ」と、根気強く、誠心誠意はたらきかけた。彼らのおかげで、僕は徐々に落ち着きを取り戻し、安定していった。

このような経験を少年院のスタッフは評価してくれます。

奥さんは少し申し訳なさそうな顔をして、俯き加減でこう言った。「あのさ、もし、忙しくなかったら、〇〇会館で自治会のコンサートあるんだけど、一緒に来てもらえない?もう外暗いし、ひとりで行くのが怖いから」その言葉を聞いて、僕は耳を疑った。奥さんは、僕と一緒に夜道を歩くことは、怖くないのだろうか?

Yさんの奥さんをはじめとする人々に一人の人間として受け容れてもらい支えられます。

旅立ち

二〇〇五年元旦。保護観察期間が終了し、僕は本退院となった。この日から、法的な縛りはいっさいなくなった。

Yさんの家を出てプレス工の仕事場の近くに家を借ります。

失敗しても成功しても構わない。「少年A」ではなく、誰でもないちっぽけなひとりの人間である自分が、実際ナンボのモンなのかを知りたい。広い世界へ飛び出して、自分に何ができて何ができないのかを、自分の身体で確かめたい。

これまではいろんな人の支えがあってこそ生きてこられたが、自分の力で生活していこうと決心します。

僕は、他人が自分に着けた色すべてこそぎ落とし、今度は自分で自分に色を着けるために、長い旅に出た。事件から八年目の、二十三歳の夏だった。

そして仕事を辞めアパートも引き払い再度新しい旅に出ます。

新天地

今考えると本当に無茶なことをしたと思うが、衝動に任せて行動してしまったため、行くあても頼る人もなく、これからどうするか具体的な先の計画は皆無だった。

彷徨い、結局カプセルホテルに行き着きます。

職場ではほとんど誰とも口をきかず、寮の入居者たちともいっさい交流しなかった。仕事現場には携帯を持っていいかず、自分からは絶対に人に話しかけないというルールを作った。

所持金が50万円を切ると仕事を探し、寮付きの建設会社への採用が決まります。

流転

二〇〇九年六月。僕は会社から突然解雇通知を言い渡された。一か月後に「自主退社」という形で退職してもらうということだった。

仕事も2年以上続き慣れ始めたものの、不況の影響で解雇されることになります。

百年に一度の大不況。劣悪な労働環境。一寸先も見えない不安定な暮らし。自分は虐げられているという被害妄想。世間や他人や自分の無力さに対する言いようのない怒りに駆られ、日に日に僕の精神は化膿した。

そして様々な仕事を転々としながら徐々に精神的に追い詰められていきます。

居場所

状況は悪化する一方だった。日雇い労働を転々としても埒があかない。今のままでは一生この犬小屋発豚小屋行きのスパイラルからは抜け出せない。(中略)僕は溶接工として働くことになった。

少年院時代に取得した溶接関連の資格を武器に溶接工の仕事にありつきます。

読書にのめり込む傍ら、僕はこの時期から、自分の事件について本格的に勉強を始めた。自分について書かれた本を集め、新聞や雑誌記事なども事件当時のものにまで遡ってほとんどすべてに眼を通し、自分だけでなはなく他の少年犯罪についても調べた。

少年院時代からその読書量は相当なものであろうと推測できます。

この時ほど、辛く苦しい気持ちになったことはない。自分が無自覚に奪い去ってしまったものの重み、決して拭えない大きな罪を、理屈でも何でもなく、まったく誤魔化しのきかない現実として、容赦のない、剥き出しの現実として、眼の前に突き付けられた気がした。

ある日溶接工のお世話になっているリーダーに家での食事に誘われ奥さんと娘とリーダーと食事をすることに。食事の際、その娘が自分が殺めた彩花さんと淳君と重なりその場に耐えられず逃げるように帰り生きてくことの難しさを改めて認識します。

自分は人間の皮を被って社会に紛れ込んだ人殺しのケダモノだ。いくら表面的に普通に暮らしても、他の人たちと同じ場所では生きられない。その変えようのない現実を強烈に意識し始め、僕はどんどんどんどん自分の中に追い詰められていった。もう自分を保てない。このままここに居ては壊れる。そう直感した。二〇一二年冬。僕は三年三か月勤めた会社に辞表を出した。

人と関わることの怖さと社会の中で罪を背負って生きていくことの辛さを感じ、会社を辞めます。

ちっぽけな答え

退職後は短期のアルバイトを掛け持ちして食いつないだ。ほとんど誰とも会話せず、人と関わることを徹底して避けた。

居場所を求めて彷徨い続けた。長い彷徨の果てに僕が最後に辿りついた場所、自分が自分でいられる安息の地は、自分の中にしかなかった。自分を掻っ捌ぎ、自分の内側に、自分の居場所を、自分の言葉で築き上げる以外に、もう僕には生きる術がなかった。

この頃になると自分で自分の物語を書くことによって自分の存在を確認し生を取り戻す作業を行います。

今自分の周囲にいる人たちを大事にしながら、自分のしたことに死ぬまで目一杯、がむしゃらに「苦悩」し、それを自分の言葉で伝えることで、「なぜ人を殺してはいけないのですか?」というその問いに、僕は一生答え続けていこうと思う。

自分は今どこに立っているのだろう。「ひとりで生きて行く」。そう決意し安全な籠を飛び出して十年。僕は本当は、ただ逃げだしたかっただけなのかもしれない。自分の過去から。自分自身から。でも結局どこへ行っても、僕は、僕らからは逃げられなかった。もう、逃げるのはやめよう。自分の立つ場所がどこであろうと、背に負った十字架の、その重さの分だけ、深く強くめり込んだ足跡を遺そう。

第二部終了です。

被害者のご家族の皆様へ

まず、皆様に無断でこのような本を出版することになったことを、深くお詫び申し上げます。本当に申し訳ありません。どのようなご批判も、甘んじて受ける覚悟です。何を書いても言い訳になってしましますが、僕がどうしてもこの本を書かざるを得なくなった理由について、正直にお話させていただきたく思います。

二〇〇四年三月十日。少年院を仮退院してからこれまでの十一年間、僕は、必死になって、地べたを這いずり、のたうちまわりながら、自らが犯した罪を背負って生きられる自分の居場所を、探し求め続けてきました。人並みに社会の矛盾にもぶつかり、理不尽な目にも遭い、悔しい思いもし、そのたびに打ちひしがれ、落ち込み、何もかもが嫌になってしまったこともありました。ぎりぎりのところで、いつも周囲の人に助けられながら、やっとの思いで、曲がりなりにもなんとか社会生活を送り続けることができました。しかし、申し訳ありません。僕には、罪を背負いながら、毎日人と顔を合わせ、関わりを持ち、それでもちゃんと自分を見失うことがなく、心のバランスを保ち、社会の中で人並みに生活していくことができませんでした。周りの人たちと同じようにやっていく力が、僕にはありませんでした。「力がありませんでした」で済まされる問題でないことは、重々承知しております。それでも、もうこの本を書く以外に、この社会の中で、罪を背負って生きられる居場所を、僕はとうとう見つけることができませんでした。許されないと思います。理由になどなっていないと思います。本当に申し訳ありません。

本の中に出てくる引用の本と著者

古谷実 行け!稲中卓球部
ヘルマン・ヘッセ 車輪の下
メルヴィル 白鯨
ドストエフスキー 罪と罰
ヴィクトル・ユーゴー レ・ミゼラブル
島崎藤村 破戒
夏目漱石 三四郎
森鴎外 青年
坂口安吾 白痴
武者小路実篤 友情
三島由紀夫 金閣寺
村上春樹 トニー滝谷
村上春樹 1Q84
村上龍 コインロッカー・ベイビーズ
太宰治 人間失格
ドフトエフスキー 罪と罰
村上春樹 海辺のカフカ
大野春彦 野獣死すべし

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