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広島カープの伝説「黒田博樹」の男気という言葉だけでは語れない凄さとは?

   

黒田博樹

ついに広島カープが、黒田がやってのけた!広島カープが25年ぶりにセ・リーグを制覇、広島は赤一色に染まり凄まじい熱気に包まれています。エースの前田健太が抜けたこともあり、前評判は高くなかったものの、終わってみればぶっちぎりの優勝。その最大の立役者として黒田博樹の存在がありました。


漫画の主人公のような人生を歩んできた黒田博樹

無名の選手が大学で活躍しプロへ

黒田は大阪出身、1975年生まれの41歳。多くのプロ野球選手が子供の時から名の知れた存在であったのとは対象的に、黒田は上宮高校では3番手の投手で甲子園出場の経験もなく、プロのスカウト網からはほど遠い選手でした。

花が開いたのは大学時代。専修大学に進学すると、課題だった制球力が増して、スピードも150kmを超えるように。チームを東都大学1部リーグ昇格へと導き、ドラフト2位で広島カープへ入団します。

広島では1年目からローテーションピッチャーに。5年目には二桁勝利を挙げ、日本代表にも選出、11年間大きな怪我なくマウンドに立ち続けて積み上げた勝ち星は103勝、そして渡米しドジャース、ヤンキースでもローテションの軸として活躍しました。

2015年21億のオファーを蹴って広島カープへ復帰

メジャー7年間で79勝を挙げ、怪我なく安定したピッチングでローテーションを守り抜く投手として評判が高かった黒田。ベテランながら2014年オフにも複数の球団からオファーがあり、なんと年棒21億円を提示した球団も。

そんな中、4億円の提示額だった広島への復帰が電撃的に表明され、その「カープ愛」と「男気」は広島だけでなくアメリカでも大きな反響を呼びました。ちなみに4億円は支払う税金よりも少なかった金額でした。

自分を育ててくれた広島カープへの恩義とカープで優勝できなかった悔しさ、そして「カープ愛」が広島復帰へと決断させたようです。

一人の投手としてだけでなく、選手の見本としても存在感を発揮

2015年は11勝、2016年も二桁勝利まであと1勝まで迫り、マウンドに立ち続けている黒田。40歳を過ぎてもなお150kmの速球と鋭いスライダーを外角いっぱいに投げ込む投球は圧倒的で大崩れすることはなく、最も試合を作ることができる投手でありつづけています。

2016年には日米通算200勝を達成、投手として優れていることは言うまでもありませんが、凄いのがチームへの影響力。野村や福井、中崎といった20代の投手へ的確なアドバイスをして能力を引き出すだけでなく、ジョンソンやジャクソンといった外国人選手からも尊敬され、慕われています。

さらに、テレビ等では表に出ない時もチーム関係者や裏方さんへの心遣いも素晴らしく、グランド外での姿勢も他の選手の模範となっているという。グランドの中だけでなく外でもチームの精神的支柱として広島を支えてきて、チーム力が高まった結果が2016年の優勝につながったのです。

優勝が決まった9月10日の巨人戦の視聴率は広島地区ではなんと60%、瞬間最高視聴率は71%とまさに広島が一つになった歴史的な日となりました。カープの優勝が決まった後、マウンド付近で黒田と新井が泣きながら抱き合った姿は、広島ファンだけでなく他球団のファンの方も感動したことでしょう。

黒田の座右の銘「耐雪梅花麗」

黒田が長年座右の銘として心に刻んでいるのが、西郷隆盛が詠んだ「耐雪梅花麗」という漢詩。これは梅の花は寒い冬を耐えることで春になれば綺麗に咲くことから、「苦しまずして栄光なし」という意味で使われ、長年故障に苦しみながらもマウンドに立ち続けている黒田を支えてきました。

ドジャース時代に頭部へ打球が当たってからは首に後遺症の痛みが残り、ヤンキース時代はそのプレッシャーから眠れず睡眠薬を飲んでいたことも。広島復帰後も長年の疲労が抜けず肩の痛みなどもありまさに満身創痍。「耐雪梅花麗」という詩の通り、苦しみ、もがいた上で掴んだのが広島での25年ぶりの優勝でした。

何かから逃げたくなった時や自暴自棄になりそうな時、この黒田の生き様や「耐雪梅花麗」という言葉を思い浮かべ、前向きに頑張りたいものです。

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